ONKYO  サイトマップ
 製品情報 技術情報 サービス・サポート ダウンロード e-onkyo music e-onkyo direct


プロがプロに聞く経営の話
インフラ企業の強みを生かしコンテンツとメディアの相乗効果を図る
Guest   有線ブロードネットワークス社長   宇野康秀
Host オンキヨー会長 大朏直人
(注) 有線ブロードネットワークスは、2005年3月1日付にて「株式会社 USEN」に商号変更となっております。 


有線ブロードネットワークス社長
Guest 
宇野康秀 Yasuhide Uno

オンキヨ−会長
Host 
大朏直人 Naoto Ohtsuki

2000年に大阪有線放送社から社名を変更した有線ブロードネットワークス。先代が許可を得ずに電柱に同軸線を引いたことの補償として、宇野社長が電力会社などに350億円を支払ったというのは有名な話である。昨年10月に音楽レーベルのエイベックスの株式22%強を取得、12月には映画配給大手のギャガ・コミュニケーションズを買収し「インフラ整備は進んでいるのでこれからはコンテンツ」と、自社のブロードバンド、有線放送、カラオケのインフラを活用したコンテンツ配信に事業の軸足を移している。


■大阪有線放送時代のイメージを払拭

大朏 先日封切りになった「オペラ座の怪人」は、ギャガを買収されて最初の配給映画ですが、観客の入りも大変好調なようですね。
宇野 比較的年配の方が来てくださっていたり、心配していた19時からの上映も満員で、安心しました。
大朏 宇野さんは41歳と大変お若いですが、学生の頃から仕事されていたそうですね。
宇野 学生起業家のまねごとをしていたり、サークルで全国の学生のネットワークを作ったりしていました。将来の事業に役立ちそうなことばかりして、あまり勉強はしていませんでした。
大朏 お父さんが創業された大阪有線放送社(現有線ブロードネットワークス)にははじめ目もくれず、ご自身でインテリジェンスという人材派遣会社を創業され、2000年上場までさせたのは大したものだと思います。
宇野 高校生の頃から起業したいと思っていた。企業家、アントレプレナーになりたいと思っていた。父の影響は受けたとは思うのですが、会社を継ぐのは違うと思っていました。自分でやることに意味があるのだと。創業者になりたいという思いが強かったのです。
大朏 いまさらながら感じる「父親」ってありますか。
宇野 直接話すことすらほとんどなかったけれど、生き様みたいなことは頭にこびりついています。たとえば母親と話をしているのをよく聞いていました。「なんであんたが社長やってるの、やめれば楽になるのに」と言う母に、「俺が社長なのは俺が一番働くからだ」って親父が答えていたのを憶えていますね。
大朏 その大阪有線放送社を先代から引き継いで、一番ご苦労されたことはどんなことですか。
宇野 大阪有線時代のイメージを払拭するのに一番苦労しました。前が悪いとか良いという話ではなくて、そういうタイミングで私が入ってきたのです。こういう風に変えていくと言っても、社内のみんなは理解してくれたけど、周囲がなかなか理解してくれなかった。役所とかいろんな方面の方々に、会社はこれから生まれ変わりますと言っても「無理だ、あんたがいくらがんばっても、会社に根付いている血がある」と言われた。「私が社長になったことは100%外部の会社が買収したのと同じだから、私の意志で変われるんですよ」と言っても信用してくれない。ほとんどの人は経営者とか幹部の意識ではなく、会社についているイメージで決めつけてしまうので、それを払拭していくことに一番苦労しました
大朏 宇野さんが本当に真摯に、先代時代の整理をされているという話は聞いていました。しかし、同時にお父さんの時代は届けを出しても電信柱を使わせてくれるなんていうことはあり得なかった。それをきちっと整理されたのはすごいことです。結局いくらお払いになったのですか。
宇野 350億円です。
大朏 国で言えば戦後保障みたいな話ですよね。しかし、そのお金はどうやって作ったんですか。
宇野 細かい話はここでは述べないことにして(笑)、一応、5年間の繰り延べ返済を認めてもらったんです。
大朏 それでも年間70億円の返済ですよ。
宇野 PL(損益計算書)的には一度、損切りしたんです。損益計算書上、単年度で350億円が損失計上されるというのが一番きつかったです。そのままでは債務超過になるので、それ以上のスケールの増資をしなければならなくなった。その資金集めが大変でした。いろいろあるんですけど(笑)、結果的にはなんとか集まったのと、それからインテリジェンスが上場していたので、これを担保に個人で銀行から借金をして、個人で会社に増資をして、なんとかなりました。


■コンテンツとメディアの相乗効果に期待

大朏 電話線と電力線以外で、家庭などの「ラストワンマイル」まできっちり線を持っている会社は御社だけなんですよね。
宇野 地域のCATVさんがありますが、全国的に引いているのはNTTと電力会社と当社だけです。
大朏 今後もラストワンマイルの有線網を拡張するスタイルを続けていくのですか。
宇野 その方法である程度はやっていこうと思っていますが、ブロードバンドのインフラはNTTをはじめいろんなところが拡げているので、我々が全国くまなくやる必要はなくなってきています。有線放送のみの時代は同軸ケーブルは持っていても、それこそ電柱を借りるのも大変ですし、NTTの帯域を借りるなんていうことは考えられなかったので、仕方なく自分で線を張ってきたという経緯があるんですよね。ただインフラもだいぶ整備されてきたので、切り替えられるところは、一部同軸ケーブルを落として衛星で送るようにしています。ブロードバンドが広がっていけば、NTTさんの帯域を借りることができるようになっているので、この組み合わせをどんどんやっています。効率のいいところは自社の線を張り、そうでないところは借りる、というふうにバランスを考えながらやっていきたいと思っています。それから有線で言えば、音楽というコンテンツを届けるのが我々の商売なんですが、お客さんはインフラ利用料としてではなく、あくまで音楽を聴くためにお金を払うわけです。お客さんにとっては回線はどこでもいいわけです。そう考えると今後はコンテンツを充実させることにステージが変わっていくと思います。
大朏 同軸ケーブルを外して光ファイバーに替えているのですか。
宇野 いえ、同軸ケーブルの上に光ファイバーを張るという方法をとっています。
大朏 なんだかもったいない気がしますね。350億円かかっているのに(笑)。
宇野 そうですね。でもそのお陰で今のポジションがあるのだと思っています。もともとの同軸ケーブルがなければ光ファイバーだって張れないわけですし。新しい会社が電柱に張ろうと思っても張れないわけですから、そこが我々の価値なのかなと思います。
大朏 お客さんにとってはいいコンテンツをいい品質で送ってくれるなら回線は関係ないですからね。
宇野 「あらゆる人にあらゆる場所で」というのが我々のスローガンです。家にいるときは同軸あるいは光で、車に乗っているときは衛星という風に。我々は今、移動体に衛星で送るようにしてますが、どういう媒体からコンテンツを入手するかは、われわれが決めるのではなくてお客さんが選ぶものです。
大朏 エイベックスやギャガなどに大変な投資をされましたが、コンテンツを全て自分で集めるというのはあり得ないですよね。
宇野 コンテンツがメディアを作っており、メディアによってまたコンテンツが生み出されていく。そういう関係があるので、ギャガをはじめとした投資は、これらのコンテンツを使ってメディアを立ち上げていく布石になります。コンテンツ側からするとメディアには非常に大事で、たとえばいい音楽を持っていてもDJさんにかけてもらえないとか、テレビで放映されないとなると意味がないわけです。出る場があって初めてコンテンツというものは育つのだと思います。
大朏 僕も同じように考えます。映画監督だって、いい映画を作りたい、でも上映してくれるところがないという人たちがいっぱいいますよね。そういう人たちにできるだけ発表できる場を作ってやりたいですよね。いい映画かそうでないかはお客さんが決めるわけですから。
宇野 これからはコンテンツを使って場を作って、またその場を使ってコンテンツを集めていく、この循環がうまくいけばいいなと思っています。


■M&A戦略の落とし穴

大朏 御社もIT企業のひとつと言えると思いますが、真の営業力を持っているIT企業は少ないと思う。その中で御社はものすごい営業力を持っています。反面、販売店や大きな営業部隊がなくても商売になるという点がITの強みでもありますよね。もっといえば、大きな営業部隊など持っていたら逆に邪魔になるかもしれない。その辺り、宇野さんはどのようにお考えですか。
宇野 確かに営業を持っている圧倒的な強みはあると思います。ただ組織力を強化していくと、当然リターンとの比率が悪くなります。一方で、大朏さんがおっしゃったように、ITの醍醐味は大きな組織をもたずに商売が出来るという点です。そういう急加速的な将来に対して株主さんが期待する面も当然あると思います。我々が今後やらねばいけないのはこの二つを両立させることです。いろんな会社が、リテール部隊とホールセール部隊の両方を駆使して、お客さんのサポートを細かくやりながら一方で大型の商品を売っていますが、この組み合わせが大事だと思う。
大朏 今成功しているIT企業は、時価総額の大きさを武器した経営をしているところが多くて、ある種の自転車操業じゃないかと思うんです。売り上げ、利益を去年より20%伸ばさなければいけないとなると、それが目的になって20%伸びるための会社を買う。また翌年もやっぱり20%伸ばすために同じことを繰り返す。M&Aは決して悪いことではないと思います。ただ僕は思うのですが、インターネットでものを売る会社、営業が要らない世界で生きている人たちは、必ず実業を求めるようになってくる。たとえば、商社は売る力がある。だからメーカーをやる。そして失敗する。そういう例が数限りなくあります。時価総額が増えたIT企業が次も次もと、脅迫観念にかられている姿を見ると、いつか来た道だな、という危惧を僕は禁じえないんです。それに比べて宇野さんは地に足がついた経営をしているなあと感じます。
宇野 私もIT企業の経営者の友人がたくさんいますが、いろんなタイプの方がいるので一言でくくることはできません。ITだからというよりも、ちょうど我々の年代が経験したことは、タイミングよく上場することができ、大きな資金を得ることが出来て、結果的にM&Aという手法が可能になったということなんです。アメリカから来た手法をうまく取り入れていった世代なんだと思う。実業でもM&Aでもいいと思うのですが、「結果のシナリオ」を持っている方とそうでない方がいるとは思います。成長のためだけにM&Aをするのでなく、世の中をこう変えていきたいから、会社がこうなりたいから今このM&Aをやるんだ、というものが必要だと思います。
大朏 ソフトバンクの孫さんにしても、彼は始めからインフラをやりたがっていたよね。始めからNTTみたいなことをやりたいと口にもしていたし、実際にそうやってきた。彼がこんな会社買った、あんな会社買ったと聞いても、いつも同じ方を向いている。15年前から300年後の経営計画を立てていたという特異な人ですけれども、孫さんがやったことは我々にも恩恵がある。電話料金が安くなったし、インターネットの普及も進みました。企業がそういう姿になっていくところが伸びていくんだと思います。やることだけはやっておけば、儲けはあとからついてくるというふうに。


■正しいことをすれば成功の道が開ける

大朏 企業家志望の若者に何かエールを。
宇野 僕は将来事業家になりたいと思っていたものの、能力やセンスはないと思っていた。どちらかというとコンプレックスのほうが強かったのです。けれども、それなりにやってこれたのは天性の能力よりも、こうしたいんだ、こうするべきなんだという思いがあったからだと思います。正しいことを表現していれば、今回のようにいろんな方に応援してもらえる、これが非常に大きいことだと思っています。商いの道というのは最終的にはどれだけ周りの人に賛同していただき、応援していただけるかで決まるのだと思います。だから正しいことをすれば、私のような普通の人間でも商売ができた。儲けるんじゃなくて、結果的に儲けはついてくるのだと思います。
親しくしているベンチャー企業家を三人挙げて下さい。
宇野 楽天の三木谷浩史さん、レインズインターナショナルの西山知義さん、フルキャストの平野岳史さんでしょうか。
みなさんゴルフが上手と聞いています。
大朏 宇野さんゴルフは?
宇野 うまくならない。90前後です。
大朏 それでうまくないっていわれちゃ困るね(笑)。孫さんだってうまいしねえ。
ライブドアの堀江さんとは。
宇野 仲はいいですけど、年代の違いがありますからね。僕の後輩のサイバーエージェント藤田晋君なんかと同年代ですからね。
堀江さんはタレント性がありますね。
宇野 私などは経営者がああいった活動をするなんて考えられなかった。彼にしても初めからテレビに出ようとしていたというよりも、成り行きでこうなったような気がします。けれど彼の場合、キャラクターが似合っているのでメリットがあるのでしょうね。堀江社長をテレビで見て、自分もああなりたいという若者が増えることは非常にいいことだと思います。
大朏 社長になりたいと思う人がもっと増えるような社会にならなくてはいけない。その意味で堀江社長の貢献は大きいですね。



大朏 直人(おおつき・なおと)氏

1941年東京生まれ。
65年駒沢大学文学部卒業後、ラジオ部品メーカーに入社後独立。
電子機器製造の日本電通を設立、社長に就任。85年自動車部品メーカーの丸八工場(現テクノエイト)の再建を契機に、4社の再建に成功。
93年6月東芝傘下のオンキヨーを個人で買収、1年半で黒字経営に転換した。
03年2月オンキヨーがジャスダックに上場、3度目の株式上場を果たす。
宇野康秀(うの・やすひで)氏

1963年、大阪府生まれ。88年、明治学院大学法学部卒。大学在学時代にプロデュース研究会を設立。学生と企業を結ぶ情報交流会などを組織化する。88 年、リクルートコスモスに入社。89年、人材派遣のインテリジェンス(2000年4月店頭公開)を設立。98年、父親の死により大阪有線放送社(現有線ブロードネットワークス)社長に就任。  

戻る

雑誌「企業家倶楽部」2005/04月号より転載。
本欄は(株)企業家ネットワーク様のご好意により実現したことを記し、謝意を表させていただきます。

 このサイトについて お問い合わせ ユーザー登録 copyright 2008 ONKYO CORPORATION Japan All rights reserved